コンヒューズ
朝鮮拉致被害の遺族(?)の話を聞いていた。
拉致され、今現在どうしているのか…?と。
自分自身親なんで、気持ちは充分に解る。
が、「多角的」に捉えると、もしかしたら、当の本人は実はそうでもないのかも…何て思いが出て来た。
いや、本当に不謹慎な発言になってしまうのだが…。
それはそれで満たされた生活をしているかも知れないし。愛する家族が出来ているかも知れないし。
で、飛躍して、例えば北朝鮮が我が国に攻撃をして来た。多分俺は腹が立つだろう。
おし、アイツらブッ殺してやるわ!って勇んで向かうわな。
戦地では殺しまくるだろう。そこで弾幕を浴び、息絶え絶えの敵兵がいたとする。
死ねや!
ってなるだろうが、
待てよ…
こいつにも家族がある…。
って解ったら、どうする…?
子供達に暴力振う親。
実は悲惨な過去を誰にも打ち明けられず、未だに暗闇を迷走しているかも知れない…。その反動がその行為の起因かも。
会社の経営者と従業員にだって、それぞれの考えがある。
「多角的」って、「相手の立場になって…」って事でもある。が、それが「思いやり」にもなるし、「おせっかい」にも変わる。
相手を理解しようとし、合せていたら、では「己(おのれ)」はどこに行ってしまうのだろうか…。
「怒り」はどう処理されるのだろうか…。
そもそも「多角的」だの「思いやり」だのは、単なる自己満足なのか?
で、「思いやり」を否定的にされると腹が立つ…。
「人間」て、いや、多分…俺は、相当「人間」が未熟なんだろう。